自己紹介
略歴
| 1946年 | 泉大津市東港町で生まれる |
|---|---|
| 1961年 | 泉大津市立第一中学校卒業(現東陽中学校) |
| 1962年 | 軟式テニスで国体出場 |
| 1964年 | 堺市立商業高等学校卒業 |
| 1968年 | オーツタイヤ株式会社勤務 |
| 1979年〜 | 市会議員初当選/7期勤め副議長、監査委員など歴任 |
| 2007年 | 現党地区委員 |
第二次大戦のの直後に生まれて・・・

だんじり祭りの様子

左:修平 右:弟の克己
私は第二次大戦の直後昭和21年1月11日に、東港町で生まれました。
幼稚園の遊技室でおどりをしたことが、いまも頭の中に残っていてときどき懐かしく思い出します。
おどりや歌が大変好きな子でした。
小学校の頃は、だんじりの音が聞こえてくると勉強もほったらかしにして走り出しました。
テニス一途に・・・
前列左:修平
小学校の頃から家の近くにあった東亜紡のテニスコートの外で毎日毎日なぜかよく見に行きました。中学でテニスしようと心に決めていましたので、すぐテニス部に入りました。
今はやりの早朝練習も重いローラーかけも、ある時は独りになってもしました。もくもくとやる習慣が身につきました。
小学校の頃から人に聞いていた堺市立商業高校に入学しました。
テニスに熱中、三年間テニスにあけくれました。
テニス部は堺商のクラブの中でも一番伝統のあるクラブで全日本選手権選手も先輩の中にいました。
私は先輩に目をかけられ、一年先輩の香川さんとチームを組み、練習に練習を重ね、台風の時も練習して、ついに第16回岡山国体に大阪代表として出場することが出来ました。高校二年の時でした。
がんばってがんばってやりぬくことの大切さを学び、大きな自信を持つことが出来ました。
テニスの国体選手が「うたごえ運動」ひとすじに〜そして結婚へ
前:修平
テニスづけの毎日でしたが、そのうちに参加をすすめられて、南大阪合唱団に入団しました。難関の予選を突破し「うたごえ運動全国大会」に出場することができました。「うたごえ運動」のなかで国労ストの支援にはとくに感動しました。このなかで、平和と民主主義の運動に目覚め、日本共産党に入党しました。
その「うたごえ運動」を通じ、妻と出会い結婚しました。
結婚は人生の大事な1ページです。議員活動の大きな支えです。ほんとうにいい人と一緒になれたと思っています。口ではいいあわらせませんが、感謝、感謝の一言に尽きますね。
父は亡くなりましたが、職場の仲間から信頼されていたことを思い出します。母も86歳になっておりますが元気に応援してくれています。
「うたがうまい」といわれた青春時代
オーツタイヤに10年間勤めました。父も同じオーツタイヤの食堂の班長として働いていました。食堂で働いている方々がよく家に来て話をしてくださったので、オーツタイヤで働く決意ができたものと思っております。よく働き、職場では代議員になってみなさんの要求をまとめてたたかっていました。
最初に市会議員に立候補したときは、仲間のみなさんにたいへんお世話になりました。いつも青春時代の思い出として大切にしています。今も働く方々の団結と、オーツタイヤが泉大津産業の振興のためにがんばってくださることを期待しています。
プール実現の感動を
はじめての代表質問や市会議員団のことはいろいろありますが、亡くなられた元市会議員の橘さんから学ぶことはたくさんあります。私にとって橘さんの後をついで立候補したこともあっていろいろ教えていただきました。立派に遺志を受け継ぐことです。
また、小学校のプール実現の要求をたたかいとったときの感動は今も忘れられません。宣伝カーの後ろから子ども達がついてきたり「いつプールできるんヤ!」とせめられたり・・・
これからは?
いままでの議員活動では、地場産業、商工業の振興にとくに力を入れてきましたが、福祉の方面ももっと力を入れていきたいと思います。いま、世界の平和・イラク問題、北朝鮮の核・拉致問題など平和で民主的な国政・府政・市政の実現をめざしてがんばりたいと思っております。
市政では必ず財政危機を乗り切り、新しい泉大津市の再建のため、みなさんとともに力いっぱいがんばります。